支援する人も、支援される人も、みんなひとりの人間です。弱くて、寂しさを抱えていて、ひとりじゃ何もできないのは、支援する人も、支援される人も、みんな一緒。私だってそうです。支援されてた人が支援する日もあれば、支援している人が支援される日だってある。つまりは、「支援する」も「支援される」も、その時の状態を表す言葉であって、決してその人の人間性を表す言葉ではありません。だから、私たちは、「支援者」「要支援者」という括りだけで、その人の人間性を判断しません。
依存の対局にある自立が世の中に広まった事で、人々は「ひとりで生きていける状態」を目指しました。そして、いつしか、自立を見失い、孤立する人々が増えました。「自立」とは、本当に「ひとりで生きていける状態」の事を指すのでしょうか。
私はそうは思いません。
私たちの考える自立とは、周りの人と助け合って生きていける自分自身の状態を指します。それは、困った時に「助けて」と言える事であり、困っている人に手を差し伸べられる事でもあります。
私たちにはそれぞれ、得意な事や、苦手な事があります。誰かの苦手な事があるおかげで、誰かの得意な事が活かされて、それらはワンセットになって初めて価値を発揮します。とかく、得意な事ばかりが「良い事」であると判断されがちな世の中ですが、「得意な事」も「苦手な事」も等しく価値がある事だと私は思うのです。誰かの「苦手だよ。」「助けて。」は、その事を得意な誰かの役割を生み出し、そこに関係が生まれ、関係が育つと居場所となり、そこにいる人たちの生きていく糧に変わっていきます。そんな風に、私たちひとりひとりが、それぞれの特性を理解しあい、受け入れ合い、支え合っていける社会を、みんなで作っていけたらと思うのです。
私たちの支援活動には、障害の有無や、特定の社会的レッテルの有無による対象制限を設けておりません。要は「誰でもご参加いただけます」という事です。また、支援される人と支援する人の間に、区別や優劣もなく、「みんなで支え合う」という文化づくりを目指して、活動しています。
支援する側と支援される側が区別された一方通行の支援活動の方が、支援する側の人が社会的に賞賛されやすい風潮がありますが、私たちの活動においては、支援する人と支援される人の間に「自立しあった関係性」を意識しているため、要支援者に対して過剰なまでの支援はしませんし、支援者に対して過剰な賞賛や上下関係をつくらないよう心掛けています。どうかご理解いただけますよう、心より、お願い申し上げます。